高野山 金堂本尊初公開&新しい中門(開創1200年特別開帳)

17時近くなったのでよりは空いていることを期待して、伽藍金堂に戻ってみました。

朝はあれほど混んでいて、外から一瞬しか見ることができなかった伽藍金堂の本尊が、外陣まで入ってゆっくり拝見できる程になっていました。待ち時間もありません。お手綱も握ぎらせてもらうことができました。

高野山金堂2

エキゾチックな金堂本尊

朝の参拝では気づきませんでしたが、思っていたより大きな木製の阿閦如来像でした。高村光雲作なので日本らしい仏像かと思いきや、顔はインド的。

くっきりまぶたに、ぽってり唇。顔はに丸くてどっしりした感じですが、顔に似合わずすっきり体型。何となく顔は中年で身体は青年みたいな^^。

光背は太陽のようにまん丸(木製の大きな平皿のイメージ)で、そこに炎が彫られています。秘仏だった故、70年前の作でもほぼ新作のようです。暗い堂内で見ると白っぽく見えました。

実は、出発前にテレビで先に見てしまったので、どういう姿かは知っていました。テレビでは正面からライトで照らして映していたため、平面的で単調に見えましたが、実際に近づいて見上げると陰影がはっきりして、やさしく包まれるような顔でした。

やはり仏像は下から見上げたときの顔が一番です。照明が明るすぎても印象が変わってしまいますし…。何でもそうかもしれませんが、テレビの印象は当てになりません。テレビで見るより何倍も良いですよ。

説明が、褒めているよう見えないかもしれませんが^^;。

高野山金堂3

平清盛の血曼荼羅

さて、伽藍金堂は昭和の再建なので、全てのものがまだ若い感じがします。有名な「血曼荼羅」も複製です。こちらは内陣の両脇に掛けられています。

ちなみに、本物の血曼荼羅をはじめ、高野山の全ての宝物は高野山霊宝館に納められています。

「血曼荼羅」は平清盛が自分の額を割った血を混ぜた絵の具で描いたとされる両界曼荼羅です。但し、血で描いたといっても、胎蔵界曼荼羅の大日如来の宝冠部分、しかもちょこんと1点のみ。

以前、東京の博物館で初めて「血の部分は小さい点だけ」と知り、がっかりした記憶があります。学芸員さんにそのまま伝えたところ、「全部を血で描いたら出血多量で死にます。」と真顔で言われました。…確かに^^;

蛇足ながら、両界曼荼羅はふたつの曼荼羅(胎蔵界と金剛界)からなっています。

胎蔵界曼荼羅は主に「大日経」に、金剛界曼荼羅は「金剛頂経」に基づいて描かれたもので、同じ大日如来をメインにしています。ですが、系統の違う経典から来ているので教えも異なります。

密教の本髄はこの両方が合わさってこそ生まれる、と考えた弘法大師の師である唐の僧侶によって、この両界曼荼羅が考案されたそうです。

先日、8年を掛けて忠実に再現した血曼荼羅が完成したというニュースがありました。ひょっとしたら秋の公開に合わせて一般にお披露目されるかもしれません。

172年ぶりの復活・伽藍中門

伽藍金堂内部を15分ほどゆっくり拝観した後、中門を見に行きました。

高野山中門
中門再建は開創1200年記念事業の中心的なもので、172年ぶりの復活です。壇上伽藍の正面玄関といったところでしょうか。

中門には四天王が配され、表の多聞天と持国天は江戸後期の作です。

多聞天

高野山中門3

持国天

高野山中門2

そして裏を守る、増長天と広目天。こちらは新たに作成されました。

一般的に、現代のものは昔に作成されたものと比べると、ちょっと力不足かなと思うことが多いのですが、こちらは力負けせずに堂々としています。そのうち平成の代表作になるかもしれません。

増長天

高野山中門5

高野山中門6

胸につけている昆虫が現代的です。ブローチみたい^^。

ちなみにトンボはまっすぐにしか進まないので、武勇の象徴。「勝ち虫」とも呼ばれ、縁起物としても一般的に広く用いられるモチーフです。

最後に、広目天

高野山中門4

広目天が付けているセミは、遠くまで鳴き声が響くので、弘法大師の教えが広く響き渡ることを意味しています。また木の樹液を吸って生きているので、殺生しない、清らかな生き物ともされています。

余談ですが、開創1200年記念の限定御朱印帳の表紙は、この中門再建のために用意された木材を使用して作られました。

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