高野山から下りて、南海電鉄高野線極楽橋駅から約30分「九度山駅」にて下車。徒歩25分ほどで女人高野・慈尊院に到着します。
距離があると道に迷いそうですが、あちこちに看板が立っているので心配ないでしょう。ナビ並みに「○○m先を左に」、「この交差点を左折」とたくさん立っています^^。
駅から向かった人はたったの5人だったのですが、慈尊院の前の駐車場には観光バスが2台も止まっていました。知る人ぞ知る穴場かと思いきや、やっぱり混んでいます。でも、さすがに高野山ほどではありません。
慈母の寺
さて、慈尊院は弘法大師空海のお母さんが暮らした寺院です。自分の息子が開いた山を見てみたいと訪ねてきたものの、女人禁制の高野山に入ることができずに、この地で暮らしました。
空海はお母さんを訪ねるために、月に9回は高野山から下りてきたと言われます。そこから「九度山」という地名が生まれました。
元々は高野山の政所として建てられた慈尊院ですが、その後、空海のお母さんが信仰していた弥勒菩薩が祀られて、女人高野と呼ばれるようになります。女性が高野山を望む場所であると同時に、女性を守るお寺でもあったのです。
この弥勒堂が現在、世界遺産の一部に指定されています。
ちなみに、慈尊院は高野山参道の入口となる、丹生官省符神社の下に位置します。境内を突き抜けて階段を上がれば、丹生官省符神社にも参拝できます。
慈尊院の御開帳が超貴重な理由
今回は、本尊・木造弥勒仏坐像(国宝)の御開帳(4/2~5/21)が目当てでした。
前回は2005年3月に7日間、高野山の世界遺産登録記念として特別開帳されましたので、10年ぶりになります。その前の御開帳は1993年10月の定期開催で、たった2日間だけでした。
しかし!
10年で驚いてはいけません。こちらの御開帳は通常21年に一度。もともと屋根の葺き替えのために本尊を動かすついでに行われていたものです。
この弥勒仏座像は平安初期の作ですが、昭和中期までは絶対秘仏だったため、誰もそのことを知りませんでした。発見からたった3年で国宝指定と、異例の早さだったことからしても、いかに当時の専門家たちが上を下への大騒ぎとなったかが想像できます。
発見から60年弱ということは、定期開帳すらも数えるほどしか行われていないということになるのです。
特に今年は高野山開創1200年記念と重なったので(実際には定期開帳を1年延ばした?)、開帳期間も50日間と大盤振舞いになりました。
それほど大事にされている秘仏なので、御開帳でも間近で拝見することはできません。ガラス越しに外から見るので(その窓からも結構遠い)、反射してしまってなかなか見ることが難しい拝観でした。窓が小さくて全体像も見えませんでしたし。
それでも、「両手を筒状にして目を囲うようにしてみれば見れますよ」というアドバイスで、何とか顔を拝見することができました。
下膨れでぽっちゃりしたお顔。体はすっきりしています。秘仏なので傷一つない、とてもきれいな仏像という印象でした。写真で見ると茶色いですが、外から見たためか、もっと白木のような色に見えました。平安初期作とは思えない美白!
本当に完ぺきなお姿!…だと思ったんですけど…。
発見されてから間もなく、正面からの見栄えをよくするために、螺髪を全部集めて前頭部の禿げたところに集中的にに植え替えたそうです。だから、後ろはツルツルなのだとか^^。
ちょっと笑ってしまいました。
御朱印をいただいた時には気づかなかったのですが、左上に紫の開創1200年記念のスタンプが押されていました。御開帳の初めのころはスタンプの情報はなかったので、途中から始めたのでしょうか。
できれば同じ朱色がよかったなぁと個人的美意識では思いますが、それでもうれしい!
(本当は黒・朱・白!という潔さが好きです^^)
現在、慈尊院では秋の記念公開ということで、木造四天王立像を公開しています(9/12~12/6、¥500)。