西光寺と往生寺②~刈萱道心物語

前回後回しにした、刈萱親子地蔵尊ができるまでのお話です。

刈萱親子の物語

平安後期、加藤左衛門尉繁氏という領主には桂子と言う美人の正妻がいて、優雅に仲むつまじく暮らしていました。ところが、「お父さんの友人の娘」という女性(=千里)の家の没落を不憫に思い、側室としたところから問題が生じます。

表向きは仲良くしているように見えた正妻と側室ですが、やはり一人の男性を分け合う身ですから、内心いろいろ思うところがあるわけです。憎しみ、妬み、嫉み、ドロドロドロ…。

そのオーラが蛇に見えた繁氏は、二人の妻に対する愛情が一気に冷めてしまいます。しかし正妻は、その愛情がなくなったのは若くて美しい側室のせいだと思い込んでしまいました。そこで正妻は家来を使って側室を殺そうとします。

許せん!

結局、家来の気転で側室は正妻の刃を退かれることができました。その代わりに何の係わりもない一般の女性が身代わりに殺されましたが…。

ほとほと嫌気がさした繁氏は全てを捨てて出家してしまいます。しかも妻子が尋ねて来られないように女人禁制の高野山へ。(なんかいやらしい人だなぁと思うのは私だけでしょうか^^;)

さて、辛くも脱出した側室の千里は男児を産み、石堂丸と名づけます。

石堂丸が成長したある日、繁氏がいるという噂を聞いた母子は、父子の対面を果たすため高野山に向かいます。しかし、高野山は女人禁制のため、千里は麓(ふもと)に残り、石堂丸一人でお父さんに会いに行きました。

数日後、偶然の出会いから父子は対面します。

石堂丸の話を聞いた繁氏(=円空=刈萱道心)は自分の子だと気づきます。しかし、出家した身なので名乗ることはせず、父は他界したと告げました。石堂丸は号泣して一人下山しました。

ところが、下山して母のところに戻った石堂丸は、母が病で亡くなったことを知らされます。

強く生きてね

行くあてがなくなった石堂丸は、もう一度高野山に登り、父とは知らぬまま道心の弟子となります。道心は石堂丸(=道念)が成人するまで師弟として接し、高野山で修行しました。

道念成人後、親子である事実を知っている道心は、情によって道念の真の修行の妨げになることを恐れ、ひとり信州善光寺に旅立ちます。

その後、西光寺を建立し修行を続け、一刀三礼の地蔵尊を刻みます。最期は往生寺にて入滅しました。

尊敬する師が入滅したことを知った道念は、後を追って善光寺に向かいました。そして、道心に倣って同様の地蔵尊を彫り、二体並べて生涯供養し続けました。それが「刈萱親子地蔵尊」として伝わっています。 ~おしまい

刈萱道心の足跡をたどる

というわけで、ものすごく長い前置きでしたが、私の一連の無駄な動きは刈萱道心の足跡をたどってみたものなのです。

まあ、話も諸説あって、どちらのお寺の話が正しいというものではありません。そもそも昔はどちらのお寺も善光寺の一部でしたので、きっちり分ける方がナンセンスなのかもしれません。

どちらのお寺にも絵解き拝観があるので、見比べてみるのも面白いかと思います。善光寺のにぎやかさとは対照に、とても静かで落ち着いてお参りができました。

最後に2寺の御朱印を紹介します。左が往生寺、右が西光寺になります。
刈萱山西光寺往生寺御朱印

西光寺ではこの他に、善光寺七福神の寿老人の御朱印がいただけます。

アクセスMAP

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする