達谷窟(たっこくのいわや)=達谷西光寺

「平泉」と聞いて思い浮かぶのは中尊寺か毛越寺。実際、その周辺を散策して帰る方がほとんどです。

でも平泉を訪れたらぜひ足を運んでほしい隠れた名所があります。

それが「別當達谷西光寺」。「達谷窟毘沙門堂」でピンとくる方もいらっしゃるでしょう。

神社っぽいけどお寺です

到着すると受付(寺務所)があり、拝観料¥300を払って中に入ります。天台宗のお寺ですが、参道には鳥居が立ち、朱色の建物が神社を思わせます。

拝観料の支払いの際、一緒に御朱印をお願いすると、拝観中に書いておいていただけます。見た目が神社っぽいので、お寺と神社で御朱印帳を分けている方は要注意^^。

御朱印は3種類ありますが、画像はお堂の紹介とともに。

自然に映える毘沙門堂

自然と一体化した懸崖造り

岩壁にめり込むように建つ毘沙門堂。朱塗りが映えてとても美しく、存在感があります。昭和中期に再建され、近年きれいに塗装されました。だからこその美しさ。建物に古さを感じないことがプラスに働くことは珍しい^^。

崖や斜面に接するように建てる工法を「懸崖造り」といいますが、奥の院として山奥にあったり、風雨に晒されて傷んでいるのものも多いです。

懸崖造りの建物はとても複雑な形をしていて人気ですが、ほとんど階段や坂を上らずにに美しい姿を見られるところは貴重です。毘沙門堂の内側からも天井と壁が岩に合わせて削られているのがわかります。

中には慈覚大師作と伝わる本尊などが安置されていますが、すべて秘仏になっています。次回の御開帳は2042年です。

蝦夷終焉の地

毘沙門堂にばかり注目しがちですが、その昔、この窟は蝦夷にとって最後の砦でした。

征夷大将軍・坂上田村麻呂によって征服され、蝦夷は滅びます。その地に蝦夷征伐のお礼として毘沙門天を祀ったとされるのがこちらの起源。

縁起には極悪人退治の物語のように書かれていますが、蝦夷と呼ばれたのは、もともとこの土地にいた人達。歴史は勝者のものとはいえ気の毒ですね。

本当の見どころは岩面大佛

毘沙門堂の先には「岩面大佛」があります。岩壁の面積が広いので大きさを感じませんが顔の長さだけで3.6mあります。胸元にはうっすらと飾り模様も見られます。

その時代の「北限の磨崖仏」として貴重な存在ですが、明治29年(1896年)の地震で崩落してしまい、現在は胸像になってしまいました。

高い位置にあるので、実際はもっと小さく見えます。双眼鏡があると便利です。

辨天堂はガマの背に建つ?

下の写真は毘沙門堂から見た「蝦蟆ヶ池(がまがいけ)辨天堂」です。辺りも手入れが行き届いていて綺麗です。

昔、五色の大きなガマの姿を貪欲神の化身と見破った慈覚大師。蛙の天敵は蛇、ということで(^^;)宇賀神の化身である弁才天をその上に祀り、押さえ込んでいるのだそう。つまりこの綺麗な島はガマの背中…。

どう考えても頭が老人で胴が蛇の宇賀神様のほうが不気味ですけれどね。

蛇は弁才天の使いでシンボルにもなっています。ということで、弁天堂の扁額は蛇が文字をつくっています。

(私は蛇が大の苦手。正直見たくない^^;)

そして、御朱印もそのまんま…。

姫待不動堂

東北三十六不動尊霊場の二十三番札所でもある「姫待不動堂」。

「姫待」とは悪者から逃げようとした姫達を待ち伏せした滝の名に由来します。

普通の不動明王像は顔の右と左で目や牙が上下違う向きをしているので、ゆがんだ顔つきをしていますが、こちらの不動明王はぱっちりとした目で左右対称の顔つきをしています(鬼っぽい^^)。大師様不動(だいしようふどう)と呼ばれる、珍しいお姿だそうです。

御朱印に霊場の札番が入っていません。受付の見本にはありませんでしたが、霊場用の御朱印は別にあるのかもしれません。

不動堂の脇を進むと金堂などがあります。

交通は意外とあり

平泉駅から歩いて行くには遠いですが、路線バスが出ています。レンタサイクルでも頑張れば可能です(行きは上り坂)。

バスは1時間に1本で、厳美渓行きのバスに乗ります。毛越寺を経由しますので、続けてまわるのがおすすめ。

戻りのバスまでには約30分、厳美渓に行くなら1時間ありますからゆっくり拝観できます。時間が余れば、道の向こう側に休憩所もあります。川のせせらぎがほっとさせてくれて癒し効果抜群です。

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