漆芸など工芸技術の粋を極めた中尊寺に対し、毛越寺は広い庭園と都にも負けない建造技術を誇ります。
中尊寺が自らの極楽浄土への思いを具現化したもの…ある種の自己満足の世界であるならば、毛越寺(もうつうじ)は対外的な顕示欲を満たすための寺院です。
半世紀をかけて造営された天皇の御願寺に対抗してみたり、京都・宇治にある平等院鳳凰堂に似た、より大きな別院・「無量光院」を建てたりと力を誇示していたそう。
まぁ、「すごい財力だなぁ」と思うのか、「ただの物まねじゃん」と取るかは見方によりますけれど^^;。
見どころは広々とした庭園
毛越寺でいちばんインパクトがある大きな池。
現在の毛越寺の見どころは建造物ではなく、この「大泉が池」を中心とした庭園です。
毛越寺境内・庭園は国の「特別史跡」・「特別名勝」の二重指定を受けており、2011年には「世界遺産」にも登録されました。
拝観は大泉が池を時計回りに歩きます。ちなみに、下の写真の「現在位置」は、バス停。矢印の先が入口です。
大泉が池の美しく澄んだ水面は風が止むと鏡のよう。”奇跡の絶景”といわれるボリビアのウユニ塩湖にも負けていないかも^^。
池を一周するだけでも40分ほどかかります。なかなかの運動ですが、見る方向によって池の雰囲気が全く異なりますので飽きることはありません。
かつては中尊寺を上回る寺院だった
この毛越寺は慈覚大師・円仁が開山し、奥州藤原氏二代・の基衡が中心になって造営しました。
「堂塔四十余宇、禅房五百余宇」と記録に残るとおり、当時は中尊寺よりも大きく、まさに平泉の「顔」。平泉が誇る「最高傑作」でした。
池の対岸には「円隆寺」という大伽藍があり、それと並んでほぼ同規模の「嘉祥寺」という伽藍がありました。やはり中尊寺同様、金や紫檀などの高価な外国材を用いていたといわれます。円隆寺の本尊は著名な仏師・運慶作の丈六薬師如来像だったそう。
大規模な造営であったため、嘉祥寺は基衡の代では完成できず、三代・秀衡が完成させました。秀衡は別院の「無量光院」も建てています。
夕方には陽が伽藍を越え、さらに後ろの金鶏山の向こうに沈むように、周辺の自然まで計算に入れて建てられた完璧さもこの寺が「最高傑作」といわれる由縁です。
往時の栄華を想う堂跡
2つもあった大伽藍も今は焼失してしまい、現存の建物は新しいものばかりです。本堂は1989年(平成元年)にできたもの。
次に見える建物が慈覚大師・円仁を祀る開山堂。以前は宝物館として使われていました。
開山堂を過ぎると、現在は消失してしまった巨大な堂跡が続きます。
基礎部分(基壇・礎石という。直接地面に接して腐らないよう、この上に柱を立てた。)しか残っていませんが、大きさを想像することができます。でも彫刻や仏像などの美術が好きな身には、正直言ってつまらない^^;。
湧水-平安の土木技術が生きる唯一の場所
同行堂手前にある遣水。池に山からの湧水を送る水路です。平安時代の技術が残る唯一の遺構で、毛越寺一の重要ポイントです。
毎年5月の第4日曜日には、優雅な平安の遊びを再現した「曲水の宴」が催されます。
湧水に盃を浮かべて流し、それが通り過ぎるまでに和歌を詠むという趣向。平安貴族に扮した歌人にも注目です。
常行堂は現存する最古の堂宇
常行堂は1732年に元々あった場所の西側に再建されました。現在の毛越寺ではいちばん古い建物になります。
本尊は「宝冠阿弥陀如来」。なかなかの美形。
奥殿には「摩多羅神」が祀られており、33年毎に開帳されます。
次回の御開帳は2033年。まだちょっと先ですね。
出島石組と池中立石
庭園の象徴・見どころとして必ず紹介されているのがこれ。
(本当はもう少し横から見るほうが趣があります^^;)
どこまでも平らで静かな池の中で、うち寄せる波の荒々しい「動」を感じさせるスパイス役です。
立派な宝物館は中身が微妙
入口を入って左手に「毛越寺宝物館」があります。近代的な建物で中もすっきりと見やすいのですが、展示品が少し物足りません。中尊寺の「讃衡蔵」を想像して行くと拍子抜けしちゃうかも。
仏像などの展示もありますが、絹糸の歴史や草木染についての解説が多いです。
時間がなければパスしても…。
御朱印
御朱印は入場してすぐ右側にある山門札所(売店)でいただけます。
拝観前に預けて、出るときに受け取るタイプです。通常の御朱印は1種類しかありませんが、専用の御朱印帳があれば、「四寺廻廊」の御朱印も受けられます。
平成28年6月1日~11月20日、世界遺産登録5周年を記念して常行堂の特別拝観があり、期間限定で常行堂の向かいの札所(売店)で御朱印が授与されました。 書置きのみでしたが20年ぶりの復刻版です。
毛越寺は「あれもこれも!」と欲張るところではなく、公園でのんびり過ごすように時間を楽しむお寺です。季節ごとに美しい写真もたくさん撮れることでしょう。