令和の御朱印問題について

令和が始まって早ひと月。凄まじかったGW中の改元フィーバーも今は昔の様相です。

御朱印がこれでもかと話題になっていましたね。しかも待ち時間の長さと転売問題というネガティブな話題ばかり^^;。

想像を超えた行動をなさる方もちらほらいらっしゃるようで。

社会問題に発展してしまった御朱印

「平成最後の」あるいは「令和最初の」御朱印を求めて最高10時間待ちの行列ができたとNHKや全国紙に載るニュースになりました。御朱印もメジャーになったなぁと感慨深い私の横で「戦時中の配給みたいね」と驚く伯母^^;。

他にも氏子総出で対応に当たって疲れ果ててしまったとか。真摯にに対応しても暴言や暴力で返されるという不理屈を味わったとか。どれもあまり楽しくない話ばかりでした。

人気が過熱し過ぎて社会問題になってしまい、興味のない人たちからすれば狂気の沙汰でしょうか。御朱印収集に否定的な意見も多くあります。静寂な時の中で自分を見つめ直すべき寺社仏閣で何をやっているのだと。

ブーム以前には寺社側が気に入らなければ「出ていけ!」と一喝されたものですが、今は数の強さがあるので強く出られないというのもあるのでしょう。

(出て行けと言われたのは私ではないですよ、念のため^^)

昔ながらの御朱印授受のイメージを大切にしたい人とブームに乗ってライトに楽しみたい人の乖離が激しく、一辺倒の対応では捌けなくなっているようです。

御朱印収集は知らない人同士の交流で成り立っている

ちなみに前回の改元(平成元年)のときには電車の乗車券が大人気で、乗りもしないのに券売機に長蛇の列ができました。ただ感熱紙ゆえに字が消えてしまうので保存にはイマイチ。しかも現在は西暦表記が多くなってしまいました。その代わりとして御朱印が注目されてしまったようです。「令和」と入れていただけますしね。

機械が発券するのでしたら単なる特需で済むのですが、御朱印の多くは手書き。特別感がある代わりにどうしても時間がかかります。それが待てない人や文句を言う人はそもそもこの趣味に向いていません。

かくいう私も令和初日にずっと行ってみたかったお寺に参拝して御朱印をいただきました。待ち時間は15分ほどでしたのでそこまでの熱狂は感じられてませんでしたが。

でももしそこが10時間待ちであっても「せっかく来たのだから後悔しないためにここは頑張って並ぼうか」と思ってしまうかもしれません。それくらいに「記念」の魔力は超絶^^。

とはいえ半年もすればこのコーフンは醒めてしまいます。過去の自分の執着心にあきれることもありますが、同時に忙しい中でも対応をしてくれた方のやさしさに重ねて感謝もするものです。

御朱印に御利益があるとすれば寺社や関係する人との交流=「縁結び」だと思っています。

御朱印収集が趣味という人の中には人づきあいが苦手という方も。どんなにコミュニケーションが苦手でも書き手さんとの交わりがなければ御朱印は手に入りません。人との接し方の練習になります。はじめは御朱印がそのミッションの成功報酬であったとしても良いのではないでしょうか。そこには「感謝する心」があって、礼節をもった対応をすることが前提ですが。

できればその小さな結び目が神社仏閣への興味や心の拠り所として太い綱になることを期待しています。

転売問題は参拝者のマナーだけの問題?

ところで今回はせっかくいただいた御朱印を転売する行為も問題になっています。「授かりものを売買するのはいかがなものか」という倫理上の問題だという意見が多いですが、私はそこまで強く否定できません。

確かに何でもお金に換算する感覚にはうんざりします。ただ、昨今のこういった問題を引き起こした背景には寺社側にも責任があるのではと思っています。授与側が主張するほど神聖なものだとすべての寺社が御朱印を大事にしているでしょうか。

お寺で納経の証として与えられて御朱印と違い、神社のものは最初から参拝記念の意味合いが強く自由でした。現在、凝ったデザインの御朱印やカラフルな御朱印で人気なのは圧倒的に神社の御朱印です。

もともと御開帳時や節目の年に限定御朱印の発行はありましたが、通常の御朱印に記念印がひとつ付く程度のもの。参拝者もどちらかといえば「その記念の時に自分がここに存在していること(縁、巡り合わせ)」を喜びとして限定御朱印を受けていたように思います。

認知度が進むにつれ、純粋に参拝者に喜んでもらえるようにと生まれた限定御朱印を一部の寺社が客寄せや宣伝(あえてこの言葉を使わせていただきます)のために乱発したり、「限定〇〇部!」などと収集欲を煽るような授与をするようになりました。その情報がSNSで拡散されると今度は人気が出過ぎて捌ききれなくなり、いきなり強制終了してしまったり。それが希少価値を生み転売行為に至った発端ではないでしょうか。

鉄道会社や旅行会社とのコラボレーション企画として限定御朱印を出しているところもあります。御朱印のシリーズ化も目立ちます。毎月色違いのスタンプを押したり色つきの用紙を使って書いた御朱印も珍しくありません。(赤い御朱印用紙って何なんでしょうね。印が見えない^^;)

これはもはや商売です。神聖さなど感じられません。転売問題には安易に御朱印を利用した寺社側にも責任があると思います。

転売者から購入する人の中には参拝したけれど受けることができずにがっかりしていた人もいるはず。売られていれば欲しいと思うことはそんなに叩かれるほど罪なことでしょうか。

誤解のないように強調しますが転売を容認しているわけではありません。でも人の感覚はそれぞれ。高額でも欲しいと思う価値観を否定したり責めたりする必要はないのではないかと。買い占めが問題になるのでしたら希少価値を生まない授与方法を検討したほうが良いと思います。

価値観の多様化を認める

一方で昔ながらに御朱印を大切に考える寺社も当然あります。どこも同じ対応だと気楽に考えた観光気分の参拝者に不満が募るのかもしれません。

授与する側でも御朱印の捉え方は様々。それなのに肥大化した御朱印ブームを捌くために書き手さんも受ける側も型にはめようとし過ぎな気がします。それも自分が信じる型を。参拝してから御朱印をいただくものだと声高に主張する方もいますが、参拝者が多い寺社では拝観前に御朱印帳を預けてもらったほうが良いとするところもあります。

個人的には「預け式」のほうが、落ち着いて書いていただけて書き損じも少ないし効率的だと思います。

正解はひとつではありません。こうしないのは邪道!ではなく、今参拝されている寺社の書き手さんがラクな方法に臨機応変に合わせることがいちばんです。思いやりが授与待ちの時間短縮にもなり、結局自分のためにもなります。

同様にたまたま他所で認められたからといって同じサービスをすべての寺社求めるのも筋違いでしょう。神社仏閣は一般の店ではありません。敬われるべきは参拝者ではなく神様仏様です。暴言や暴力で思い通りにしようというのは言語道断。反社会的な人には御朱印お断り、出直してこいで構わないと思います。

がんじがらめの規制より転売する気にならない方法を

御朱印の廃止や高額化を提案している方がいますが、解決策としては疑問が残ります。ほとんどの良心的な参拝客を、ごく少数の荒らしとともに切り捨ててしまうことになります。転売者(屋)は新たなターゲットを探して消えるでしょうが、同時に当初の目的であった寺社と新しい参拝者との縁をも断ち切ってしまうでしょう。結局神社仏閣は廃れてしまいます。

乱発は問題ですが限定御朱印が悪だと言っているのではありません。昔ほど信仰心がなくなった現代では仏像や建造物の修復も簡単ではありません。その費用を賄うために広く寄進を求めようとするならば、御朱印はうってつけだと思います。1万円の瓦の寄進は敷居が高いですが、記念の御朱印をいただけて修復の役に立てるならまさにwin-winではないでしょうか。

そのためにはある程度長い授与期間が必要になるでしょう。そうすれば遠方からでも参拝できます。今回の改元騒動でしたら、希望者には後日でも初日の日付での授与を認めるとか。そうすれば希少価値もなくなり、転売しても利益は出ないと思われます。対応にも余裕が生まれます。

すべてが丸く収まるのなら、日付などの若干の偽りは神様仏様も片目をつぶってくださいませんかねぇ^^。

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